少年隊の東山紀之さんが書いた
自叙伝「カワサキ・キッド」という本があります。
ここには壮絶な幼少期の記録がありました。
見た目はクールでハンサムな東山紀之さんですが、
とても面白く、男気溢れる姿が魅力的です。
そんな東山紀之さんの幼少期と現在のくらしを調べました
すぐ読める目次
東山紀之の幼少期が壮絶すぎる!悲しすぎる子供時代

1966年9月30日
神奈川県川崎市に生まれ
55歳(2021年現在)
3歳の頃に両親が離婚し、生まれたばかりの妹と一緒に母に引き取られた。
両親の離婚理由とは
ギャンブルが好きな父との生活は借金など問題がありました。
また大酒飲みの祖父が泥酔した時に、熱湯を当時3歳の東山紀之さんの足に誤って浴びせてしまったそうです。それは足が火傷で変形するほどの怪我で・・・
そんなことが積み重なって離婚に至ったようです。
ちなみに、祖父はロシアと日本のハーフなので、東山さんもハンサムなんですね。
離婚後は母と妹と3人ぐらし
理容師の母とのくらしは貧しく、
お風呂もない近くにはコリアンタウンがあるアパートに暮らしていたそうです。
食べるものもあまりなく妹と二人でお腹をすかせていたようで、
近所に住む焼肉店の韓国人の方に豚足を食べさせてもらっていたようです。
当時は近所も同じようなくらしだったので、それが当たり前だと思っていたそうです。
母の再婚そして2度目の離婚
母は離婚後はすぐに再婚したそうですが、
その再婚相手の義父はDVで、東山さんも暴行されていました。
その生活は壮絶を極めるものでした。
母はその相手とも離婚したそうです。
東山紀之、ジャニーズに入った経緯は?
小学6年生のときに、渋谷でスカウトされます。
なんと、車からジャニー喜多川社長が自ら降りてきて声をかけてきたそうです。
ジャニーさん本人から声をかけられた人は数少ないので、
東山さんはとても貴重な存在ですね!
このことが人生の大きな転機になりました。

ジャニーズに入ってからは、少年隊としてデビュー!!
俳優としても、タレントとしても大活躍しています!!
まとめ
東山紀之さんには父の記憶はないようですが、
母子家庭でくらしは大変な子供時代を過ごされました。
あの時、渋谷でジャニーさんにスカウトされてなかったら?
どんな人生を歩まれたのだろうかと思います。
人生は出会いで決まるというけれど、
本当にジャニーさんとあえてよかったなと思います。
もちろん、ジャニーズに入ってからも大変なこともあったとは思いますが・・